Author: | 芥川龍之介 | ISBN: | 1230000193389 |
Publisher: | Arao Kazufumi | Publication: | October 26, 2013 |
Imprint: | Language: | Japanese |
Author: | 芥川龍之介 |
ISBN: | 1230000193389 |
Publisher: | Arao Kazufumi |
Publication: | October 26, 2013 |
Imprint: | |
Language: | Japanese |
芥川龍之介傑作選2 著作者別ランキングで上位の作品から選定を行っています。今回は第2版として、地獄変、トロッコ、杜子春、河童、或阿呆の一生など5作品を掲載いたしました。
地獄変
芥川龍之介
一 堀川の|大殿様(おほとのさま)のやうな方は、これまでは|固(もと)より、後の世には恐らく二人とはいらつしやいますまい。噂に聞きますと、あの方の御誕生になる前には、|大威徳明王(だいゐとくみやうおう)の御姿が|御母君(おんはゝぎみ)の夢枕にお立ちになつたとか申す事でございますが、|兎(と)に|角(かく)御生れつきから、並々の人間とは御違ひになつてゐたやうでございます。でございますから、あの方の|為(な)さいました事には、一つとして私どもの意表に出てゐないものはございません。早い話が堀川のお邸の御規模を拝見致しましても、壮大と申しませうか、豪放と申しませうか、|到底(たうてい)私どもの凡慮には及ばない、思ひ切つた所があるやうでございます。
トロツコ
小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まつたのは、|良平(りやうへい)の八つの年だつた。良平は毎日|村外(むらはづ)れへ、その工事を見物に行つた。工事を――といつた所が、唯トロツコで土を運搬する――それが面白さに見に行つたのである。
トロツコの上には土工が二人、土を積んだ後に|佇(たたず)んでゐる。トロツコは山を下るのだから、人手を借りずに走つて来る。|煽(あふ)るやうに車台が動いたり、土工の|袢纏(はんてん)の裾がひらついたり、細い線路がしなつたり――良平はそんなけしきを眺めながら、土工になりたいと思ふ事がある。
杜子春
一 |或(ある)春の日暮です。
|唐(とう)の都|洛陽(らくよう)の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました。
若者は名を杜子春といって、元は金持の息子でしたが、今は財産を|費(つか)い尽して、その日の暮しにも困る位、|憐(あわれ)な身分になっているのです。
何しろその頃洛陽といえば、天下に並ぶもののない、|繁昌(はんじょう)を|極(きわ)めた都ですから、往来にはまだしっきりなく、人や車が通っていました。門一ぱいに当っている、油のような夕日の光の中に、老人のかぶった|紗(しゃ)の帽子や、|土耳古(トルコ)の女の金の|耳環(みみわ)や、|白馬(しろうま)に飾った色糸の|手綱(たづな)が、絶えず流れて行く|容子(ようす)は、まるで画のような美しさです。
河童
序 これはある精神病院の患者、――第二十三号がだれにでもしゃべる話である。彼はもう三十を越しているであろう。が、一見したところはいかにも若々しい狂人である。彼の半生の経験は、――いや、そんなことはどうでもよい。彼はただじっと|両膝(りょうひざ)をかかえ、時々窓の外へ目をやりながら、(|鉄格子(てつごうし)をはめた窓の外には枯れ葉さえ見えない|樫(かし)の木が一本、雪曇りの空に枝を張っていた。)院長のS博士や僕を相手に長々とこの話をしゃべりつづけた。もっとも身ぶりはしなかったわけではない。彼はたとえば「驚いた」と言う時には急に顔をのけぞらせたりした。……
僕はこういう彼の話をかなり正確に写したつもりである。もしまただれか僕の筆記に飽き足りない人があるとすれば、東京市外××村のS精神病院を尋ねてみるがよい。年よりも若い第二十三号はまず|丁寧(ていねい)に頭を下げ、|蒲団(ふとん)のない|椅子(いす)を指さすであろう。それから|憂鬱(ゆううつ)な微笑を浮かべ、静かにこの話を繰り返すであろう。最後に、――僕はこの話を終わった時の彼の顔色を覚えている。
或阿呆の一生
僕はこの原稿を発表する可否は勿論、発表する時や機関も君に一任したいと思つてゐる。君はこの原稿の中に出て来る大抵の人物を知つてゐるだらう。しかし僕は発表するとしても、インデキスをつけずに貰ひたいと思つてゐる。
僕は今最も不幸な幸福の中に暮らしてゐる。しかし不思議にも後悔してゐない。唯僕の如き悪夫、悪子、悪親を持つたものたちを|如何(いか)にも気の毒に感じてゐる。ではさやうなら。
久米正雄君
一時代 それは或本屋の二階だつた。二十歳の彼は書棚にかけた西洋風の|梯子(はしご)に登り、新らしい本を探してゐた。モオパスサン、ボオドレエル、ストリントベリイ、イブセン、シヨウ、トルストイ、……
そのうちに日の暮は迫り出した。しかし彼は熱心に本の背文字を読みつづけた。そこに並んでゐるのは本といふよりも|寧(むし)ろ世紀末それ自身だつた。ニイチエ、ヴエルレエン、ゴンクウル兄弟、ダスタエフスキイ、ハウプトマン、フロオベエル、……
彼は薄暗がりと戦ひながら、彼等の名前を数へて行つた。が、本はおのづからもの憂い影の中に沈みはじめた。彼はとうとう根気も尽き、西洋風の梯子を下りようとした。すると傘のない電燈が一つ、丁度彼の頭の上に突然ぽかりと火をともした。
二母
狂人たちは皆同じやうに鼠色の着物を着せられてゐた。広い部屋はその為に一層憂欝に見えるらしかつた。彼等の一人はオルガンに向ひ、熱心に讃美歌を|弾(ひ)きつづけてゐた。同時に又彼等の一人は丁度部屋のまん中に立ち、踊ると云ふよりも|跳(は)ねまはつてゐた。
彼は血色の|善(い)い医者と一しよにかう云ふ光景を眺めてゐた。彼の母も十年前には少しも彼等と変らなかつた。少しも、――彼は実際彼等の臭気に彼の母の臭気を感じた。
「ぢや行かうか?」
医者は彼の先に立ちながら、廊下伝ひに或部屋へ行つた。その部屋の隅にはアルコオルを満した、大きい|硝子(ガラス)の壺の中に脳髄が幾つも|漬(つか)つてゐた。彼は或脳髄の上にかすかに白いものを発見した。それは丁度卵の白味をちよつと|滴(た)らしたのに近いものだつた。彼は医者と立ち話をしながら、もう一度彼の母を思ひ出した。
……………………………………………………
●標記1
「shift jis」対応外の文字は原則「image font」を避けUnicode対応フオントとしております。
●標記2
この作品は青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)によってすでに作成されHP等にて既に一般公開されています。内容に関しましては、原著作者の著作上の意図及び著作を出版された出版社。さらに青空文庫等による制作上の意図と原則を尊重し、変換作業等の上は、最小限の改定に留まるように最新の注意を払っております
芥川龍之介傑作選2 著作者別ランキングで上位の作品から選定を行っています。今回は第2版として、地獄変、トロッコ、杜子春、河童、或阿呆の一生など5作品を掲載いたしました。
地獄変
芥川龍之介
一 堀川の|大殿様(おほとのさま)のやうな方は、これまでは|固(もと)より、後の世には恐らく二人とはいらつしやいますまい。噂に聞きますと、あの方の御誕生になる前には、|大威徳明王(だいゐとくみやうおう)の御姿が|御母君(おんはゝぎみ)の夢枕にお立ちになつたとか申す事でございますが、|兎(と)に|角(かく)御生れつきから、並々の人間とは御違ひになつてゐたやうでございます。でございますから、あの方の|為(な)さいました事には、一つとして私どもの意表に出てゐないものはございません。早い話が堀川のお邸の御規模を拝見致しましても、壮大と申しませうか、豪放と申しませうか、|到底(たうてい)私どもの凡慮には及ばない、思ひ切つた所があるやうでございます。
トロツコ
小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まつたのは、|良平(りやうへい)の八つの年だつた。良平は毎日|村外(むらはづ)れへ、その工事を見物に行つた。工事を――といつた所が、唯トロツコで土を運搬する――それが面白さに見に行つたのである。
トロツコの上には土工が二人、土を積んだ後に|佇(たたず)んでゐる。トロツコは山を下るのだから、人手を借りずに走つて来る。|煽(あふ)るやうに車台が動いたり、土工の|袢纏(はんてん)の裾がひらついたり、細い線路がしなつたり――良平はそんなけしきを眺めながら、土工になりたいと思ふ事がある。
杜子春
一 |或(ある)春の日暮です。
|唐(とう)の都|洛陽(らくよう)の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました。
若者は名を杜子春といって、元は金持の息子でしたが、今は財産を|費(つか)い尽して、その日の暮しにも困る位、|憐(あわれ)な身分になっているのです。
何しろその頃洛陽といえば、天下に並ぶもののない、|繁昌(はんじょう)を|極(きわ)めた都ですから、往来にはまだしっきりなく、人や車が通っていました。門一ぱいに当っている、油のような夕日の光の中に、老人のかぶった|紗(しゃ)の帽子や、|土耳古(トルコ)の女の金の|耳環(みみわ)や、|白馬(しろうま)に飾った色糸の|手綱(たづな)が、絶えず流れて行く|容子(ようす)は、まるで画のような美しさです。
河童
序 これはある精神病院の患者、――第二十三号がだれにでもしゃべる話である。彼はもう三十を越しているであろう。が、一見したところはいかにも若々しい狂人である。彼の半生の経験は、――いや、そんなことはどうでもよい。彼はただじっと|両膝(りょうひざ)をかかえ、時々窓の外へ目をやりながら、(|鉄格子(てつごうし)をはめた窓の外には枯れ葉さえ見えない|樫(かし)の木が一本、雪曇りの空に枝を張っていた。)院長のS博士や僕を相手に長々とこの話をしゃべりつづけた。もっとも身ぶりはしなかったわけではない。彼はたとえば「驚いた」と言う時には急に顔をのけぞらせたりした。……
僕はこういう彼の話をかなり正確に写したつもりである。もしまただれか僕の筆記に飽き足りない人があるとすれば、東京市外××村のS精神病院を尋ねてみるがよい。年よりも若い第二十三号はまず|丁寧(ていねい)に頭を下げ、|蒲団(ふとん)のない|椅子(いす)を指さすであろう。それから|憂鬱(ゆううつ)な微笑を浮かべ、静かにこの話を繰り返すであろう。最後に、――僕はこの話を終わった時の彼の顔色を覚えている。
或阿呆の一生
僕はこの原稿を発表する可否は勿論、発表する時や機関も君に一任したいと思つてゐる。君はこの原稿の中に出て来る大抵の人物を知つてゐるだらう。しかし僕は発表するとしても、インデキスをつけずに貰ひたいと思つてゐる。
僕は今最も不幸な幸福の中に暮らしてゐる。しかし不思議にも後悔してゐない。唯僕の如き悪夫、悪子、悪親を持つたものたちを|如何(いか)にも気の毒に感じてゐる。ではさやうなら。
久米正雄君
一時代 それは或本屋の二階だつた。二十歳の彼は書棚にかけた西洋風の|梯子(はしご)に登り、新らしい本を探してゐた。モオパスサン、ボオドレエル、ストリントベリイ、イブセン、シヨウ、トルストイ、……
そのうちに日の暮は迫り出した。しかし彼は熱心に本の背文字を読みつづけた。そこに並んでゐるのは本といふよりも|寧(むし)ろ世紀末それ自身だつた。ニイチエ、ヴエルレエン、ゴンクウル兄弟、ダスタエフスキイ、ハウプトマン、フロオベエル、……
彼は薄暗がりと戦ひながら、彼等の名前を数へて行つた。が、本はおのづからもの憂い影の中に沈みはじめた。彼はとうとう根気も尽き、西洋風の梯子を下りようとした。すると傘のない電燈が一つ、丁度彼の頭の上に突然ぽかりと火をともした。
二母
狂人たちは皆同じやうに鼠色の着物を着せられてゐた。広い部屋はその為に一層憂欝に見えるらしかつた。彼等の一人はオルガンに向ひ、熱心に讃美歌を|弾(ひ)きつづけてゐた。同時に又彼等の一人は丁度部屋のまん中に立ち、踊ると云ふよりも|跳(は)ねまはつてゐた。
彼は血色の|善(い)い医者と一しよにかう云ふ光景を眺めてゐた。彼の母も十年前には少しも彼等と変らなかつた。少しも、――彼は実際彼等の臭気に彼の母の臭気を感じた。
「ぢや行かうか?」
医者は彼の先に立ちながら、廊下伝ひに或部屋へ行つた。その部屋の隅にはアルコオルを満した、大きい|硝子(ガラス)の壺の中に脳髄が幾つも|漬(つか)つてゐた。彼は或脳髄の上にかすかに白いものを発見した。それは丁度卵の白味をちよつと|滴(た)らしたのに近いものだつた。彼は医者と立ち話をしながら、もう一度彼の母を思ひ出した。
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●標記1
「shift jis」対応外の文字は原則「image font」を避けUnicode対応フオントとしております。
●標記2
この作品は青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)によってすでに作成されHP等にて既に一般公開されています。内容に関しましては、原著作者の著作上の意図及び著作を出版された出版社。さらに青空文庫等による制作上の意図と原則を尊重し、変換作業等の上は、最小限の改定に留まるように最新の注意を払っております